大地震が当地を襲った1月17日当日は、被災者のだれもが今起きていることが現実のことと判断するのに戸惑いを感じたはずで有る。まさか、“一瞬のうちに家が押しつぶされる”とは、だれもが理解できるはずがありません。また、外部からの情報は皆無の状態。何をするのにも当然制約が有るなかで、出来ることと言えば、家族をいかにして守るかが精一杯の事で、「とても非常通信を行う事までは気が付きませんでした。」と言うのが正確なところであった。
その様な状況のなかで当初、取り得た行動は、多くの被災されたアマチュア無線局が実践されたように、居住地域内での救援等のボランティア活動でありました。幸いにも私の住んでおります地区(兵庫県宝塚市仁川)は、電気が17日午後には復旧致しましたので、UHF帯(430Mhz・F3)の無線機を使っての交信が出来る状態にはなりましたが、しかし、とても、交信が正常に出来る精神状態、状況ではなく、ローカルの避難所等の雑用に追われる日々であり、居住地域外に目が向けられる余裕が出来たのは震災後4日目であった。
最初に取り得た行動は、大阪市在住のJG3NFH 茂村裕史氏からの「緊急通信のための基地局の設置提案」に答えた物であり、提案当日の21日午後九時過ぎ、早速、UHF帯(F3)で交信していた仲間に急遽「今から基地局を西宮市に設置しに行く。」と協力と資材の提供を呼びかけて、設置出来たのが西宮公同教会「応援する市民の会」現地事務所内の基地局でした。ボランティア団体の現地事務所内で基地局を運用する事がいかに大切なことか、以後の各避難所の物資配布の状況を見れば一目瞭然であるが、当方達の願いが届かず、外部からの通信機材の提供、オペレータの派遣など、救援の手が向けられず、残念ながら決して成功したと言えない結果しか残せませんでした。以後、私達はクラブ組織を有効に生かして「JH3YRO 災害救援隊」を組織して、新聞販売店への無線機材設置1/25(各避難場に配る無料の新聞紙面の枚数報告、道路情報)・避難所への移動無線機材設置1/30(救援物資の照会)・安否照会のはがきの発送2/16(激震地のアマチュア局宛)・引越の手伝い要員の派遣2/01〜・義援金の配布3/01〜(避難されているアマチュア無線局に対して)などの活動を多くのクラブ員と賛同アマチュア無線局と行ってきました。
災害時においては、“柔軟で敏速な外部からの救援支援活動と連動しての地域内救援活動”が最重要である事を私達アマチュア無線家に今後の反省材料として残した。
末記になりましたが、被災されました方々の一日も早い復興をお祈りいたします。また、参加支援してくださりました方々、JAIA、JARL、に心から感謝しお礼申し上げます
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